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熊本地方裁判所 昭和27年(行)14号 判決

原告 奥村静子 外一名

被告 熊本県知事

主文

原告等の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「被告が熊本県八代郡宮原町字葉山二百二番地の二田六畝四歩につき昭和二十六年十一月一日附奥村半吾宛買収令書を以てなした買収処分は無効であることを確認する。若し右請求の理由がないときは被告が右物件についてなした前記買収処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、右請求の趣旨に掲げる農地は元原告静子の夫で同久の父に当る奥村半吾の所有であつたが、昭和二十四年九月十五日右半吾死亡に因る遺産相続開始し原告両名がこれを承継取得した。にもかゝわらず宮原町農地委員会は、右の事情を知悉し乍ら該物件につき亡半吾を相手とする買収計画を樹立し、次いで被告は右計画に基き昭和二十七年二月七日、右死亡者宛の、買収期日を同二十六年十一月一日とする同日附買収令書を原告等に郵送交付し、本件農地に対する買収処分を行つた。しかし乍ら右買収処分は次の如き瑕疵があり、当然無効を免かれないものである。

(一)  本件買収処分には死者宛になされた違法がある。元々死亡者は公法及び私法上において等しく権利義務の主体たり得ないことはいうを俟たないので、死者を相手としてなされた買収計画並びにこれに基く買収処分はそれ自体無意味であるばかりでなく、相続人に対する処分ともなり得ないのでかゝる瑕疵は重大且つ明白で当然無効と解すべきである。尤も原告等はその後前記買収令書の名宛人を原告等に訂正した昭和二十七年三月二十六日附令書を被告より再交付せられたが本件買収計画設定の日は被告の自認する如く昭和二十六年十月七日であつてみれば本件買収処分が半吾死亡の事実を諒知し乍ら敢て死者宛に為された違法の買収計画に基くものであることに疑問の余地なく元々理論上無効行為に追完の余地はないので、右瑕疵は買収手続の中途において土地所有者が死亡した場合相続人に買収手続の効果を承継せしめる当時施行されていた自作農創設特別措置法(以下単に自創法と称する)第十一条の如き手続により補正せられる筈がない。

(二)  仮に原告等に対する右買収令書の再交付により本件買収処分が相続人である原告等に対する処分となり得るとしても本件買収手続には、何等正当の理由なく買収期日を右買収令書交付の日より四箇月も前に遡及せしめられた違法がある。

(三)  本件買収対価は不当に低廉で憲法第二十九条の規定に違背している。元々私有財産は正当な補償の下においてのみこれを公共の用に供し得るにすぎないところ、本件農地はその水利耕作上の便、地味等より見て一等田に属するにかゝわらず、これに対する買収対価は僅かに金八百十円にすぎない。これでは農地の買収価格が不当に低廉で、余りにも現実の経済状勢に合致しないから右対価を以てする買収処分は実質上農地の没収に等しいというべきで、明かに前記憲法の規定に反する。

とその無効事由を説明し以上の事実は仮にそれが本件買収処分を無効たらしめるほどのものでないとしても尠くともこれらの違法事由は本件買収処分を取消すべき事由に相当するので予備的にこれが取消を求める旨述べ、被告の答弁に対し原告が本件買収計画樹立当時宮原町内に在住していなかつたこと、当時の本件農地の登記簿上の所有名義人が亡奥村半吾であつたこと並に本件土地の買収対価の算定基礎がいずれもその主張のとおりであつたことは認めるが、被告主張の買収計画設定の経過は当時としては知らなかつた、他はすべて否認する。訴外奥村謙太郎は原告等に無断で本件農地につき買収の申出をした者であるから、同訴外人を介して原告等が本件買収計画の設定事情を知り得べき筈がなく、まして異議訴願をなすべき機会もなかつた旨反駁した。(立証省略)

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中その主張農地が元奥村半吾の所有であつたが、原告等がその主張の如き半吾との身分干係に基き遺産相続したこと、被告が半吾死亡後本件土地につき樹立された買収計画に基き原告等主張の半吾宛令書による買収処分を行つたことは認めるが、他はすべてこれを争う。

(一)  本件買収処分は原告主張の如く死者を相手としたのでなく半吾の相続人である原告等に対してなされたものである。即ち宮原町農地委員会は半吾死亡後の昭和二十六年十月七日原告等が不在地主に相当することを理由に本件農地につき公告及縦覧期間を同日より同月十七日迄買収期日を同年十一月一日と定めた自創法第三条に基く買収計画を樹立したのであるが、其際その登記簿上の所有名義は依然半吾の侭で原告等の相続登記が未だなされていなかつた関係上、該計画の名宛人を手続上便宜な右登記簿上の名義に合致せしめたにすぎない。従つて該計画は実質上半吾の相続人である原告等に対してなされたものに外ならず半吾を名宛人とする前記買収令書も亦原告等に再交付したのであるが被告はその後の昭和二十七年三月二十六日自創法第十一条の場合に準じ本件買収令書の名宛人を原告等に訂正して再交付したので、前記買収令書における表示上の瑕疵も亦これによつて治癒せられたことになる、従つて本件処分は原告等に対し為されたものとして有効であることに疑問の余地はない。

(二)  原告等は仮に本件買収処分が右買収令書の再交付により原告等に対するものとなり得るとしても同令書記載の買収期日は交付の日から四箇月余も遡及せしめられているので斯る買収令書の交付による買収処分は違法であると主張しておるが、かゝる日附の相違は単に買収処分の効果が手続上遡及せしめられているというに止まり格別これを以て違法となすに当らない。

(三)  原告等は本件買収対価が低廉で憲法第二十九条の正当な補償に当らない旨主張するが、具体的には何等その根拠を示さないので、それが果して何と比較しての立言かは明かでないが、元々本件農地の対価は自創法第六条の規定に従い土地台帳上の賃貸価格金二十円二十四銭に同条所定の倍率中最高の四十を適用して算定せられた金八百九円六十銭を、更に国庫出納金等端数計算法により端数を切上げ金八百十円としたもので、自創法上本件農地につき裁量し得べき最高率によつた額であるから、右買収価額の決定が同法の規定に違反しないことは勿論、元来憲法第二十九条にいわゆる正当な補償とは必ずしも市場取引において成立すると考えられる価格のみをいうものでなく価格の統制せられた事情の下においてはこれに基き合理的に算出せられた額をいうと解すべきところ、農地及び米殻の価格並びに農地の使用処分が統制せられていたことは衆知のとおりで農地の所有権は之を地主の立場からみれば既に全面的支配の関係を離れむしろ自ら農地を使用耕作する利用関係こそ農地所有権の本体とされていた以上前記統制価格等を基準とし、中庸田の全国平均生産費、地代、賃貸価格等を勘案して定められたいわゆる農地の自作収益価格を買収対価の標準とした前記自創法の規定は正に合理的な基準といえるばかりでなく、当時我国が置かれていた国際的地位からしても将又、国家的要請であつた農村民主化促進のためにも、真に個人の権利が公共の福祉に調和し得たものというべきで之を以て憲法第二十九条に違反するとの原告等の主張は全く理由がない。

と反論し結局本件買収処分には原告等主張の如き違法事由は存在しないので、本件処分が無効であるとなす原告の主請求も亦仮に然らずとしても取消し得べきものと為す予備的請求も総て理由がないので失当として棄却せらるべきである旨陳述した。(立証省略)

理由

原告主張の本件農地はもと奥村半吾の所有であつたが同人の死亡による遺産相続により原告両名がその所有権を承継取得したこと、被告が訴外宮原町農地委員会の樹立した買収計画に基き右農地を昭和二十六年十一月一日附で自創法第三条第一項第一号に該当するものとして買収処分を為したこと、右買収処分においては買収計画樹立当初から農地所有者は奥村半吾と表示せられていたこと従つて右買収処分について被告の発行した買収令書の名宛人も右半吾と記載されていたこと右買収令書は同二十七年二月七日原告等宛に送達交付されたこと並に奥村半吾は右買収手続開始前の昭和二十四年九月十五日既に死亡していたことは当事者間に争がない。

(一)  原告等は本件買収処分は死亡者を相手方として為されたものであるから無効であると主張するのであるが抑々農地等の買収にあたり買収当局者が農地所有者が死亡している事実を知りながらしかも死亡者自身よりその農地を買収する意図を以て買収計画を樹立し或は買収処分を為すというが如きことは全く予想されないことに属し死亡者相手の買収処分とは結局農地所有者が死亡している事実を知らずして買収処分を為すか又は所有者死亡の事実を知りながら登記簿上の名義人が死亡者であることなどのため実質は相続人のためにする意図のもとに便宜死亡者の名義で買収手続を為す場合とが考えられるところ前者即ち所有者死亡の事実を知らずして買収を為した場合その処分が相続人に対するものとして効力を持ちうるか否かの問題は本件の関するところでないので暫く措くこととし後者即ち農地所有者死亡の事実を知りながら相続人に対する買収効果の発生を意図して為された死者名義の買収処分の効力如何につき以下検討することとする。

元来農地等の所有者は当該農地等の買収について重大な利害関係を有するので違法不当な買収計画については自創法上一定の救済手段が与えられているほどであるから買収計画を定めた時、縦覧に供する書類又は買収令書に当該農地等の所有者として表示せられる者は実質上当該農地等につき所有権を有するものたることを要し単に公簿上の所有者名義に依ることを得ず又買収令書の交付は実質上の所有者に対し為されることを要することは当然で若し買収令書そのものは実質上の所有者に対し交付されたとしても買収令書その他関係書類に表示された所有者の名義が実質上の所有者と異る場合の買収処分はその手続乃至処分が当初から実質上の所有者に向け為されているものであることを実質上の所有者が自ら知り又は知り得べき場合においてのみかゝる買収処分はその手続において本来取消し得べき瑕疵を包含しながらも実質上の所有者に対し一応有効に成立したものと解するを相当とする。

之を本件についてみるに原告静子は亡半吾の妻同久はその長女であるが買収計画樹立当時登記簿上の所有名義が亡半吾の侭で原告等の相続登記が未だなされていなかつた事実は当事者間に争がなく、成立に争のない乙第三号証の一乃至三に証人奥村謙太郎同本田辰明同津田藤徳の各証言を綜合すれば、右半吾及び原告等は早くより外地に赴いていた者で、終戦後内地に引揚げて後も京都市内に在住していたこと、半吾は昭和二十四年七月頃実妹トジユの病気見舞に八代郡宮原町に一時帰郷中偶々病を得て同地において死去したこと、しかるに原告等が依然京都市内に在住していた関係上同町農地委員会は昭和二十六年十月七日本件農地につき原告等がいわゆる不在地主であることを理由に自創法第三条に基く買収計画を樹立したのであるが、その名宛人が半吾とせられたのは手続を簡略に処理するため、便宜その名宛人を前記登記簿上の名義に合致せしめたものであること従つて右計画は実質上半吾の相続人である原告等に対してなされた趣旨にならないことが夫々窺われ、本件買収令書が昭和二十七年二月七日原告等に送達せられたことは前記のとおり原告等の自認するところであるから遅くとも同日以後原告等は本件買収処分が原告等に向け為されている事実を覚知したものと認め得る。従つて本件買収処分は奥村半吾の相続人である原告等に対する処分として有効に成立したものと解し得るので本件買収処分が死者名義により為されたことを理由として同処分が当然無効であるとの原告等の主張は理由がない。

ところで農地の買収処分に於て買収令書その他の関係書類に表示された所有者の氏名が実質上の所有者と相違する場合はこれを単なる氏名の誤記と看做すことを得ず、かかる表示の齟齬はすくなくとも買収処分そのものを取消すべき法律上の瑕疵と認めうることは既に前段に説明したとおりであるところ被告は右瑕疵は本訴提起後の昭和二十七年三月二十六日買収令書の宛名を原告等に訂正した上同令書を原告等に更交付したので、これにより表示上の瑕疵も治癒されたこととなり最早本件処分は取消し得ないものであると抗争し、右買収令書の再交付の事実は原告等に於ても之を認めるところであるが単に買収令書の宛名を原告等名義に補正して再交付することのみにより買収計画樹立以来の所有者名義を誤つた表示上の瑕疵が総て補正されたことになるか否かについては問題の存するところではあるが買収計画樹立の際縦覧に供した書類に所有者として表示されている奥村半吾の氏名を縦覧期間を経過した後において事実上原告等と訂正することは全く意味のないことであり、さればといつて買収計画樹立以来の一切の書類に表示されている誤つた所有者氏名を訂正しかつ再縦覧に供することはとりもなおさず買収計画自体の立てなおしということに帰し瑕疵ある買収計画の補正とはその性質を異にするので斯る補正に親しまない点まで補正しなければ表示上の瑕疵の補正とならないというのであれば結局斯る場合の補正は事実上不可能であるということになり農地改革を急速に実現しようとする自創法の立法趣旨にも反するので本件の如く一旦買収令書の交付が為された後に於ては単に買収令書の宛名のみを実質上の所有者である原告等に訂正し再交付することにより買収計画樹立以来の所有者に関する表示上の瑕疵は総て治癒せられ、これにより本件買収処分は爾後取消し得ない状態に於て其の効力は確定したものと解するを相当とする。この点に関する原告の予備的の請求も理由がない。

(二)  原告等は仮に前記原告等宛の買収令書の再交付により本件農地の買収処分が原告等に対するものとなり得るとしても同令書記載の買収期日は交付の日より四箇月余も遡及せしめられているのでかゝる令書の交付による買収処分は違法であると主張するので按ずるに右日附遡及の事実自体は被告も争わないところであるが元々農地の買収処分は計画の設定、縦覧公告、令書の交付等一連の手続を経て行われるもので、その買収処分により所有権の移転するいわゆる買収時期は、買収令書交付の時に初めて定められるものではなく、これより前計画樹立の際に既に確定せられ公示せられることは自創法第六条第五項、第九条及び第十二条の規定により明かである。ところで本件農地の買収計画樹立の日は昭和二十六年十月七日で公告及び縦覧期日は同日より同月十七日迄買収期日は同年十一月一日と定められていることは当事者間に争はなく買収期日が縦覧期間の最終日より十四日後に指定されていることに徴し右期日の指定自体には何等の違法はない。さすれば原告主張の買収令書記載の買収時期を令書交付の日より遡及せしめたということは本来右に定められた買収期日前に為すべき買収令書の交付が予定より遷延したことより生ずる止むを得ない結果であつて農地等の買収手続の繁雑さと広汎な地域に迅速に自作農を創設することの実際上の困難さを顧みるならば、特に右買収期日が縦覧期間の最終日より前にまで遡及せしめられていたような特殊の場合でない限りその当、不当は別とし、前記の如き買収令書上の買収期日が遡及せしめられたことの一事を以て直ちに違法と解し難くこれが本件買収処分の無効原因に当らないことは勿論、処分を取消すべき事由に当るものとも認め難い。

(三)  次に本件農地の買収価格が低廉で憲法第二十九条に違反するとの原告主張事実につき考えてみる。本件農地買収の対価が金八百十円でこれが被告主張の算出基礎に自創法第六条所定の倍率中四十を適用し、且つ端数の切上げがなされた結果であることは当事者間に争がないので、右対価が同法所定の最高の基準率に従がい定められたことは明かである。のみならず、右基準を定めた自創法の規定自体が、農地米価等の統制事情を考慮して定められたいわゆる自作収益価格の算定方式で、これによる買収対価が合理的で憲法第二十九条第三項に規定する正当な補償に相当する所以については、既に判例の存するところで今更ら詳説を要しない。して見れば本件買収処分には何等憲法に違反した違法はなくこの点に関する原告の主張も亦排斥を免かれない。

然らば本件買収処分を以て無効とする原告の主請求が失当であるばかりでなく、之が取消しを求める予備的請求も亦理由がないので原告等の本件主請求及び予備的請求をいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条を適用し主文のとおり判決をする。

(裁判官 浦野憲雄 松本敏男 田原潔)

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